看護師さんとの付き合い方への考えの変遷の記録

今日は

一般病棟での看護師さんとの記憶について

書いていこうと思います

 

集中治療室では看護師さんとの関わりはあまりなかったと記憶しています

お医者様とはほとんどなかったのでは?

覚えているのは

看護師さんとは

・「ご家族から携帯を預かってきました」と言われて携帯をもらったこと

・パジャマを変えてもらったり体を拭いてもらったこと

・このブログで別の日に書きましたが「私死ぬんですか?」と聞いたら

 「それは最初に聞いている通りです」と言われたこと

・頭痛がひどくて痛み止めをもらえないか尋ねたら「6時間空けないといけないから」と

 言われたこと

くらいです

お医者様とは

ある夜中

とんでもない痛みの頭痛から眠れずに(痛み止めが切れる時間帯でした)

目を開けるとそこに白衣を着た1人の男性が立っていました

(術前検査でMRI室にいた白衣の人だったのでこのときに脳神経外科医のお医者様だと

知りました)

これだけです

 

一般病棟に移ってからは

お医者様は基本は朝の回診だけです

一方

看護師さんは1日に何回も顔をあわせます

私は人間関係をうまく築くことが苦手でした

人とうまく付き合えませんでした

ですので

この

看護師さんとの付き合い方にもいろいろ悩みました

看護師と患者という関係で

これほど悩むとは思っていませんでした

どんな立場関係性のときでも

人間関係となるのだから「合う合わない」問題が生じると勉強になりました

どんな状況立場でも

常に相手の心立場になって考えなくてはいけない

いけなかった

そう

反省していました

....

でも

そうでしょうか?

どんな状況立場でも

常に相手の立場になって考えなくてはいけないのでしょうか?

自分の立場を擁護するようですが

「病人」や

いい話ではありませんが

「何らかの悲劇に見舞われている人間」でも

そのようにしないといけないのでしょうか

しかし

そのようにしよう!と決意していても

いざ

その立場や状況になると

そんなふうにできないということもあるのでは?

今は考えています

 

どちらが正解なのか?

どちらも間違っているのか?

わかりません

ただ

今は

こうやって

記憶をたどりながら

あのときの自分を振り返って

自分の心を

しっかりと見つめ

自分の心を

もっともっと

知りたい

わかりたい

そう

思っています

 

脳心

 

脳の病気になって

脳と心についてよく考えるようになりました

自分の心なのに

知らないことがものすごく多いな

びっくりしています