①産婦人科医はインフォームドコンセントの努力をしても患者に訴えられる!?

 

私は

子宮筋腫の手術で「子宮を全摘」したことを後悔し続けています

そして

なぜ「子宮を残す手術を提案してくれなかったのか?」と

医師に対して不信感を抱いてきました

また

ある日の診察の仕方で

私はたいへんな辱めを受け屈辱を感じました

この記憶に今も苦しんでいます

 

「子宮のある体に戻してほしい」

「あの辱めを受ける以前の体と心に戻してほしい」

そうずっと願っていますが

 

失ったものは取り戻せませんし

心の傷を受ける前の心になど戻せませんし

辱めを受けた体を受ける前の状態になど戻せません

 

不可能です

もう私は絶対に元に戻れないのです

 

なぜこのようなことになってしまったのか?

私は少し前まで次のように思っていました

 

「医師の説明不足」

インフォームドコンセントの欠如」だと

 

しかし

改めて今回の問題を考えていて思い直しました

 

医師は説明責任を十分に果たしている

医師は患者が治療や手術で不利益を被らないように職責を果たしている(と考えている)

医師は患者が治療や手術で不安にならないように職責を果たしている(と考えている)

 

私が受けた治療や手術の内容を

三者が見れば(受ければ)

「私ならこれで十分満足します」と言うかもしれない

 

そう思いました

 

なので

今は

こう思っています

 

患者は

医師から

最良の医療行為を受けるためには

「患者はまず自分がどのような人間なのかを自分自身が十分に知ることが必要である」

また

「患者は自分自身がどのような人間であるのかを十分に医師に知らせる必要がある」

そして

「医師は患者に自分がどのように患者のことを考えているのかを知らせる必要がある」

また

「医師は患者に治療や手術の内容を<できる限り事前に>十分に説明する必要がある」

 

ただ

上記のことをするためには

「医師と患者に信頼関係があること」が絶対条件になると思います

信頼できないような人間に自分のことを話せませんし

信頼できないような人間のことを十分に理解しようと思わないのではないでしょうか

 

インフォームドコンセントは絶対に必要です

医師と患者のどちらの立場を守るために必要です

 

そしてそのためには

「互いを知る」

「互いをわかりあう」

「互いを信頼し合う」

これらが絶対条件になると思います

 

信頼し合うことができていれば

後に患者の心が変化しようとも

医師に対して不信感や恨みつらみを募らせる可能性は

かなり少なくなるのではないでしょうか

そうなれば

<患者が医師を訴える>

という

医師と患者両者にとっても

悲しい出来事であり

また

医師と患者両者とっても

医療というリスクの高い行為を

少しでも

「心穏やかにできる」

というものに変えられるのではないでしょうか

 

この記事では

私(脳心=患者)

ある産婦人科医のお医者様にうけた

巨大子宮筋腫の診察時の様子を書いています

これは

私という「患者」から見た思った考えた感じた診察時の様子です

 

そして

私はこの記事で「問題提起」をしています

ただし

私はこの記事の中で書いている

 

産婦人科医のお医者様を問題視しているわけではありません」

今回書いている

診察時の様子から

私といっしょに「何が問題なのか?」を考えていただきたいのです

 

そして

「どうすれば

医師と患者が誤解や勘違いから

互いに不信感を抱き互いの行動を問題視し

最悪の場合

訴え合うようなことにならないようにできるのか」

 

いえ

「どうすればよりよい医療を提供する」

「どうすればより良い医療を受ける」

ことができるのか?

このことについて考えていただき

そして

答えを教えてほしいのです

 

どうかよろしくお願いいたします

 

 

 

それでは

くも膜下出血発症者」で

「巨大子宮筋腫発症者」の

私(=脳みる脳心)が感じた

産婦人科の診察や手術などで起こりうる重大な問題について明記します

 

まず結論から書きます

 

医師の立場からは

とにかく事前説明が必要であり

とにかく事前説明の内容を患者に理解させることが必要であり

とにかく事前説明の内容に患者に了承了解させることが必要であり

そうでないと

患者から

恨まれるばかりか

訴えられる

可能性がかなり高くなる

 

患者の立場からは

とにかく事前説明が必要であり

とにかく事前説明の内容を医者から理解させてもらう必要があり

とにかく事前説明の内容を医者に了承了解できるものか考えに考える必要があり

十分に納得して了承了解する必要がある

そうでないと

医師を

恨むばかりか

訴える可能性

どころか

心を病んでしまう可能性すら高くなる

また

患者は

特に手術に関しては

遠慮などせずに

一生の問題と捉え

「自分がどうしたいのか?」を考えに考え

医師にはっきりと希望を伝えることが大事だと考えます

なぜなら

産婦人科での病気は

子宮

などの臓器を手術で摘出しなければならないのか?という場合があるからです

摘出して失ったものは戻って来ません

それゆえ

本当によく考え

医師と相談し納得できる治療を選択することがものすごく大事だと思います

 

 

では

なぜこのように考えるようになったのか

その経緯を今から書いていきたいと思います

 

私はくも膜下出血になり

ある公立の総合病院で手術を受け入院しました

そして巨大子宮筋腫も見つけてもらいました

見つけてもらった経緯ですが

おそらく術前検査ではないかと思います

⭐︎私は手術前後の記憶がまったくありません

なのでこの経緯については断言はできません

 

それで

この巨大子宮筋腫の手術の件で

関連病院である大学病院を紹介してくださいました

 

入院している病院にも産婦人科はありますが

常勤の産婦人科医の先生は1人のみでした

その産婦人科医の先生が手術してくれる病院(お医者様)を探してくださいました

この子宮筋腫の病院が決まらないと退院できないと言われていましたので

決まったと言われたときはものすごくうれしかったです

しかし「どこの病院ですか?」と聞くと

「□□(ある都道府県)の大学病院」と言われ

ものすごくがっかりしました

「そんな遠いところまで行かなくてはならないのか」と思ったからです

しかも

今まで行ったことのない病院です

知らない病院知らない所に行くなんて不安です

でも

それで

これでもうすぐ退院できる!

<1日だけど>

退院できる!

そう思いました

⭐︎私は当時の担当医である脳神経外科医のお医者様から

「1日だけ退院できる」

「1日だけなら退院してもいいだろう」

そう言われました

くも膜下出血で入院中に巨大子宮筋腫が原因で

肺動脈血栓症にかかり死にかけました

なので

子宮筋腫の手術できる病院が見つからない限り

退院できないと言われていました

最初は近隣の病院に店員になると言われていましたが

紹介されたのは遠くの大学病院でした

その大学病院で私を診てくれるお医者様の担当曜日の

前日に退院し家で過ごし

そして次の日に大学病院に診てもらうというスケジュールを案内されました

ですので私は

大学病院に行けばそのまま入院になると思っていました

ただ

大学病院を紹介してくださった産婦人科医のお医者様は

「手術日までは通院になると思う」と話されました

また

脳神経外科医のお医者様も少し前に

子宮筋腫は今すぐ手術しないといけないと言うものではないみたいだ」と言われていました

しかし

上記しましたように

「1日なら退院してもいいだろう」と言われ

肺動脈血栓症で死にかけたことから

私は

大学病院に行ったその日から入院となるのでは?という考えを

消すことができませんでした

ただ

そうなるよりも家に帰ってしばらくは家で過ごしたいと言う気持ちが強かったため

「通院となると思う」と言う産婦人科医のお医者様の言葉通りになりますように!と

そのことばかりを考えて大学病院に行きました

前日から

「入院ってならないはずだから入院準備の荷物は持って来なかったけど大丈夫だよね?」

そんな不安な気持ちでいっぱいでした

ですから

私の頭の中では

大学病院に行ったらそのまま入院

または

手術の予定日などの話を聞いて帰宅

この2つの選択肢だけでした

くも膜下出血で入院していた病院で

産婦人科医のお医者様から診察を受けたことはありませんでした

子宮筋腫くも膜下出血の術前検査のMRIまたはCTでの写真から

見つけてもらいましたし

産婦人科医のお医者様もその写真を見ただけで

私自身を診察したことはありません

こう言ったことからも

私は

大学病院でも産婦人科医のお医者様に診察されると言う頭が全くありませんでした

紹介していただいた産婦人科医のお医者様から大学病院のお医者様にはデータが入っているはずですし

そうでなければ私を手術するしないの判断ができなかったでしょうし

私の頭の中では上記しましたように

そのまま入院して手術という運びになる

または

手術日の説明して帰宅

という流れしかなかったためです

何故

こんなにも

「診察されるなんて思わなかった!」ということを

書いているかというと

この日の診察を

私は

非常に屈辱的で辱めをうけるものと感じました

 

ただ

私は考えます

この日の診察内容をを非常に屈辱的で心苦しめられると感じる

のは

私だけではないのでは?と

 

それで

<この日の診察内容>について

何が

どうして

どのように

問題だと感じたのか?

知ってもらいたいと思っています

それで

この問題をブログで今から書いていこうと思います

 

 

 

まずは

【大学病院で掲げられていたある文言について皆さんはどう考えられますか?】

私は「大学病院は医師を育てる場所ですご理解ください」という趣旨の文言を

大学病院内または大学病院のホームページで見ました

これを読んでこの文言の意味を皆さんはどう考えられますか?

私は次のように考えました

「患者の皆さんはこんな大きな立派な高度な医療の大学病院で医療を受けられるのです」

「ただその医療を受けるためには医師を育てていくことが大事なのです」

「そしてここは大学病院なのですから医師を育てるための場所なのです」

「だからみなさんがこれからもずっと高度な医療を受けるためにみなさんの体を教材とさせてもらいます」と考えました

なのでこの文言を見るたびに恐怖するとともに惨めな気分になりました

「貧乏だとこんな扱いを受けないといけないのだな」

「お金持ちや権力者なら大学病院でこんな扱いを受けるのじゃなくて

お金持ち専用の病院で特別待遇してもらうのだろうな」

 と思いました

 

⭐︎ただしばらく経つと私の考えは次のように変わりました

「ここは医師を育てる場所なので

まだ経験の浅い医師が診察にあたります

なので

もしかしたら気になることがあるかもしれませんが

医師を育てることはみなさんのためでもありますので

大きな心で見てください」

という意味なのかな?とも考えるようになりました

 

どちらが正解なのか?

今は

どちらも正解なのかな?と考えています

 

そして

次に

産婦人科で起こりうる問題の2つ目》です

婦人科系の病気の発症は非常にデリケートな事柄です

特に

乳房や子宮などの病気の場合

かなり非常にデリケートな事柄になると思います

そして

かなりデリケートな事柄であるがゆえに

患者は正気の心を保っていない状態が考えられる

「乳房を失ってしまうかも!?」

「子宮を失ってしまうかも!?」

そのような状況に陥った患者は冷静でいられる可能性は低く

そのような状況で判断選択した決定には

のちに後悔することが考えられるのでは?

 

実際

私はものすごく後悔しています

「なぜ子宮を残すことはできませんか?」とたずねなかったのか?

ものすごく後悔しましたし

今でも後悔し続けています

 

それで考えました

どのようなことをしていればこのような結果にならなかったのか?と

 

その《結論》です

医師は(に)<手術の説明は非常に丁寧に行う\非常に丁寧に行なってもらう

<丁寧すぎることは決してない>

そして

医師患者の両者のために<手術の説明時は録画などの記録をしておく必要がある>

 

では

「なぜこのように考えるに至ったのか?」

ここからはその経緯を書いていきます

 

私は

子宮筋腫がかなり巨大化していました

しかし

まさか自分が子宮筋腫になっているなんて思いもしていませんでした

むしろ私は「健康だけが取り柄」だと思っていました

まさか自分が子宮筋腫になっているなどと全く考えることがありませんでした

ですから

「健診」にも長い間行っていませんでした

 

確かに

胸の下あたりが大きく張っている

頻尿である

一度何かで病院に行ったとき「かなりの貧血」だと言われた

という症状や状況はありました

しかし

私は食欲旺盛であるから

それで

いつも胃が張っているのだ

家族が頻尿であるため遺伝だ

と考えていました

そして

貧血だと言われたが全く自分では自覚するようなことがない

というような状態だったため

特に気にもせず

むしろ

なんの取り柄もないけど

体は健康だから「少しくらいの無理なら平気」と思って生きてきました

 

しかし

わたしはくも膜下出血を発症したことにより

「巨大子宮筋腫」をみつけてもらいました

 

私は非常に反省しました(今も反省しています)

もうかなり長い間「健診」に行っていませんでした

「多くの方に自分が健診に行っていなかったせいで迷惑をかけてしまった」

「検診に行っていたらもしかしたらくも膜下出血にならなかったかもしれない」

子宮筋腫だってもっと小さいうちに治療することができたのに

わざわざ大学病院を紹介してもらうことになった」

そして

この

大学病院を紹介してもらうとき

私は非常にショックを受けました

なぜなら

「大学病院の〇〇先生が手術してもいいと言ってくれた」

そう話されたからです

「手術してもいいと言ってくれた」

つまり

多くの先生は手術したくないと言ったけれど

〇〇先生は「手術してもいいですよ」と

私の手術の引き受けを了承してくれた

という意味に

私は理解しました

そのため

私は

「他の先生皆が嫌がる仕事(私の手術)を引き受けてくれた〇〇先生におおいに感謝しなければ!」

「絶対に失礼のないようにしなければ!」

そう思いました

 

大学病院を紹介してくださったのは

くも膜下出血で入院していた公立の病院の産婦人科医のお医者様でした

そのお医者様は

「僕はあなたのような巨大子宮筋腫の手術を何度もしたことがある」

「けれどあなたがくも膜下出血後だというリスクの高さと

この病院の設備面の問題からここでの手術ではなく

大学病院という設備の整った病院での手術がいいと思う」という主旨の話をされました

このお医者様は

とても柔和な雰囲気で

話し方も優しく丁寧でとても感じの良い方でした

私が手術を不安がっていると察せられ

「(手術したら子宮筋腫が巨大だから)ダイエットできるよ」と

笑わしてくれました

私はこの一言で少し元気になれました

このとき

このお医者様は若い1人の男性を連れて来られていました

私は

なぜか昔から「挨拶」にこだわるところがあり

「挨拶」には気をつけていました

しかし

この産婦人科医のお医者様にはきちんと立って挨拶できたのですが

若い男性が挨拶する前に座ってしまったのです

言い訳ですが

私はこの男性の存在に最初気づきませんでした

産婦人科医のお医者様の横に立っていたのにです

何かのテレビ番組で

「人は見ようとしないとそこにあるのに見えていないことがある」と

出演者の方(学者さん?)が話されていたのを思い出しました

 

そして

挨拶されて

初めてこの若い男性のことを考え始めました

「お医者様ってことだよね?」

「この産婦人科医のA先生のところで勉強されているってことかな?」

「研修医さん?なって間もないお医者様だから勉強にとこの場に連れてこられたってことなのかな?」と

 

このとき

産婦人科医のお医者様も若い男性医師も白衣の姿ではありませんでした

ただ

「今から産婦人科医のA先生が部屋に入ってこられます」と言われたので

A先生が産婦人科医のお医者様だとはわかりました

もう1人別に産婦人科医のお医者様が来られるとは思ってもいませんでした

 

産婦人科医のお医者様とこの若いお医者様はとても感じが良かったです

A先生が若いお医者様にかけられる言葉の端々から

若いお医者様をとても可愛がっていられることが感じられましたし

若いお医者様のA先生への言葉と動作からはA先生への尊敬の念が感じられました

「いい関係なのだな」と微笑ましくさえ思いました

 

このA先生には

子宮筋腫の手術後

「ありがとうございました」とお礼の挨拶を申したかったのですが

そのためだけに

お忙しいお医者様の診察時間に伺うのはどうだろう?と考えました

それで

その当時の脳神経外科のお医者様に

産婦人科医のA先生にお礼を言いたいのですが」と聞きましたが

「必要ない」と言われましたので

やはり

お忙しいのにそんなことでお医者様の時間を奪うのはいけないことなのだな

と思いました

 

また

大学病院での診察をすべて終え

その一年後の検診は「元の病院の産婦人科で診てもらって」と言われ

その時に

このA先生の担当曜日に行き

お礼を言おうかと考えましたが

ある理由からそれは断念いたしました

(理由はまた別の機会に)

しかし

A先生に何か問題があるというわけでは決してございません

本当に

A先生は感じのいいお医者様で

「ああいうお医者様だったら通うのがつらくないだろうな」と

よく考えました

 

それでは

ここから

大学病院での診察について詳しく書いていきます

まずは

大学病院という未知の世界に行くまでの

私の心の中から書いていきます

 

ここまでに書いたことと少し重複している箇所がありますが

読み進めてください

 

私はくも膜下出血での退院時

ものすごく不安な気持ちでした

というのは

私は

入院中にこの巨大子宮筋腫により

肺動脈血栓症(エコノミー症候群)になりました

このときの記憶はありませんが

ただ家族が急に私と連絡が取れなくなり

(携帯で連絡を取り合えていた頃でした)

心配して病院に問い合わせたところ

子宮筋腫が悪さをしている」

「今(私は)頑張っている」と伝えられたそうです

<⭐︎子宮筋腫が巨大であったため

肺に血栓ができやすくなっていました>

この話を後から知り私は怖くなりました

くも膜下出血という大病になったにも関わらず

後遺症もなく(当時はそう思っていました)無事に退院できるのに

今度は子宮筋腫で死んでしまうかもしれない

しかも

病院では看護師さんが夜中でも見回ってくれていましたが

退院するので誰にも気づかれずに死んでしまうかもしれない

そしてそんな私に追い打ちをかけたのが

「私の手術をしてくれる先生を探している」という言葉です

くも膜下出血で入院していた病院は公立の病院でした

産婦人科もありましたが

常勤のお医者様は当時1人だけでした

そのお医者様は私のような巨大子宮筋腫の手術の経験は何度もあるということでしたが

私がくも膜下出血発症後まもないという

・リスクの高さ

・設備面の問題

この2つの理由から

今入院している病院では手術できないということでした

それで「大学病院」を紹介してもらえたのですが

その話の中のある言葉にまた私はショックを受けます

それは

「◇◇大学病院の〇〇先生が手術をしてもいいと言ってくれた」

という言葉です

「(手術)してもいい」

つまりこの言葉から察するに

<私の手術をお医者様はしたくない>のだと考えました

その中で

私の手術を「してもいい」と言ってくれた

〇〇先生にこの時点で

すでに私はとても感謝していました

<皆が嫌がる私の手術の担当医に手を挙げてくださった>と

この先生の存在に感謝し

この先生にはきちんとご挨拶をし

感謝の意をしっかり伝え

そしてこの先もずっと大切に感謝していこう!

そう決意いたしました

 

そして

いざ

診察初日です

大学病院に行くのは初めてでしたので

少し緊張しておりました

白い巨塔の世界?」などと一瞬思いましたが

あれはドラマであり

そのドラマからもかなりの月日が過ぎており

また

雑誌か何かで「今はもうあのようなドラマの世界とは違います」

「教授にあれほどの権力はもうありません」

という内容の記事を読んだ記憶がありました

それで

そんなことよりも

とにかくきちんと「ご挨拶しなければ!」

と思っていました

しかし

いざ待合室で診察を待っていると迷いが生じました

こんなに患者さんがたくさんいて混んでいるなら

 

「そんな挨拶で時間をとらないでほしい」って〇〇先生は思うかな?と

 

私のような他病院からの紹介患者専用の受付があったことからも

その迷いは生じました

私のような患者は珍しくもないことなのだから

それなのに「いちいち挨拶なんかして時間を取らないでほしい」と迷惑に思われるのでは?

と考えたのです

 

「挨拶するのかしないのか」でずっと悩んでいましたが

「しないよりもしたほうがいい」と考え

予約の時間が来たので診察室に入りました

 

私はドアを開けた瞬間に驚いて頭の中が真っ白になってしまいました

そこには

たくさんの白衣の人が座って

いっせいに私を見ているのです

私は「ドギマギして」挨拶のことも忘れてしまいました

自分の名前を言って椅子に腰掛けるだけで精一杯です

その間も白衣の人たちは私を食い入るように見ています

ただ私に話しかけるのは〇〇先生だけでした

「大学病院って1人の患者をこんなにたくさんのお医者様で診るのか!」と驚きです

そしてものすごく怖いです

1人の患者を多勢のお医者様が食い入るように見つめている

緊張して

何も考えられません

「失礼のないように」と気をつけていましたができていなかったかもしれません

ただ

〇〇先生の言葉でものすごく感動して

ずっと記憶に残った言葉があります

それは

 

「本当に手術していいんですね」です

 

私はこの言葉で

「この先生は信用してもいいのではないか」

そう思いました

 

そして

手術のスケジュールを言われたのですが

このスケジュールを書くのに

私はメモも何も持ってきていませんでした

それで

あわてて携帯に打ち込んだのですが

緊張してものすごく手間取りました

「すみません」と言うと

〇〇先生は「大丈夫」と言うようなことを言われました

私は「あ!いい先生みたいだな」とこの対応からも感じました

 

さて

ここからが

私が問題だと感じた診察内容について書いていきます

上記しましたように

私はこの日診察があるなどとは

1mmも思っていませんでした

また

私は

産婦人科に今まで行ったことがありませんでした

ところが

このようにたくさんのお医者様がいる中で

大変緊張し

その上

恐怖を感じている中で

「診察します!」と言われます

私の心の中は

「えー!診察があるなんて聞いていないっ!」

「診察ってことは下着を脱ぐってこと!?」

「こんなたくさんの人の前で下着を脱ぐなんて怖すぎる!」

「こんなのセクハラ!見せ物だ!」と

大きな悲鳴をあげていますが

断れるはずありません

 

産婦人科の診察内容です

下着を脱ぎ

診察台に座り

脚を広げます

お医者様と患者である私が顔を見合うことのないように

上半身にはカーテンが引かれています

 

私にとっては

心の準備のない診察です

いくら

病気の診察とはいえ

人前で下着を脱いで脚を広げるなんて

恐怖でしかありません

病気した人間が言う言葉ではないとは分かっていても恐怖でしかありません

この診察は

このあと何回しても

慣れることはありませんでした

こうやって書いていても

泣きそうになります

文字を打つ指が震えます

 

しかも

カーテン越しとはいえ

あんなにたくさんのお医者様がいる中で

下着を脱いで

あのような診察台に座っているところを想像され

いえ

他のお医者様も診察の様子をカーテンの中に入られて

見られていたかもしれません

完全に

私にとっては

「ストリップショー」でした

しかし

私は診察を終えたあと

笑っていました

なぜなら

悲しい顔をしたら

「見せ物にされた惨めな女」の烙印を押されてしまいます

例えば

誰かがみっともない格好で転んだとします

それを

「うわー恥ずかしー!」と誰かがからかったとしても

その転んだ人が

「何が恥ずかしいの?別に大したことではないわ」と言う態度をとれば

からかったほうが恥ずかしくなるくらいです

しかし

からかわれて

「泣きそうな顔」を見せたりすればそのからかった人物は一生その人をからかい続けるかもしれません

ですから

私は心の中では悲しんでいましたが

笑顔をつくっていました

 

2次被害まで受けたくありません

 

しかし

今考えます

このときに

「このような診察であればせめて事前に説明してほしかったです」

そう言えていれば

今のように心傷つき

「たいしたことじゃない」

と何度も自分に言い聞かせずに済んだかもしれません

「あの診察日の前の心と体に戻りたい」と

何度も考えずに済んだかもしれません

「あのときにせめてそう言えていたら」と

考えたりもしますが

やはりそうではなく

「せめて事前に説明があれば結果は違っていたのではないか?」

と考えます

⭐︎このことに関しては

今も

「事前に説明」があればかなり違った結果になっていたのでは?と思います

おそらくこの診察の仕方を

<大学病院では当たり前と考えている>のではないかと思います

後になって

「ここは医師を育てる場所です」という意味がわかった気がしました

ですから産婦人科医のお医者様にとっては当たり前の診察の仕方だったのでしょうし

この診察の仕方を何か疑問に思うことはなかったのでしょう

だから事前に説明しないといけないなんて思いもしなかったのだろうなと思いますし

きっと産婦人科医のお医者様も上の先輩たちがしてきたことを受け継いできただけなのだろうと思います

だからと言って

私が受けた行為を理解できる訳ではありません⭐︎

 

 

そして

次の診察日

〇〇先生が私に質問しました

「どんな感じ?(こう言われたと思います)」

しかし

私は

この質問の

意味?

意図?

がわかりませんでした

どんな感じとは?

何が?どんな感じなのか

何か症状が出たのか?

例えば苦しくなったとかという意味か?

それとも

何か気持ちに変化が出たのか?

という意味か?

それとも

薬を飲んで何か変わったことはあるのか?

例えば副作用でも出たのか?

などと考え

何が聖改なのかわからず

すぐに答えられません

私はそういったことを考えていたのです

しかし

おそらく

〇〇先生は私が黙ってしまって

何も答えようとしないと思われたのでしょう

それで

私に腹が立って

少し怒った言い方で

「ちゃんと薬(子宮筋腫を小さくする薬)飲んでるよね!」と言われました

でも

私は全然怖くありません

私はある幼少期の体験から「怒った男の人がものすごく怖い」のですが

私の心の中は

「うわーなんかキレてるー!」

「でも黙ってるんじゃないんだもーん!」

「そんな曖昧な質問の仕方するからわからなかったんだもーん」

「そんな変な質問の仕方するからだよー!」

って思ってました

 

私は

「はい」

「ちゃんと飲んでます」

「横になった時にお腹の辺りにある物体がこう向いてたのがこう向きに変わった感じがします」

「だから少し小さくなったのかもしれません」

バカ丸出しの答え方です

私は話し下手なので手の動作をよくつけます

それでこのときも

「こう向いていたのが高向きに変わった」というときに

ての動作で<縦向きから横向きに変わったような動作>をしました

 

すると

〇〇先生は

私の拙い話し方にも

嫌な顔をせずに

片方の手を顎の下にあて

片方の手は

顎の下に当てている手を支えるように

胸の下辺りに横向きに一直線に置いて

ロダンの考える人ポーズが近いのですが

ああいう粗野な感じではなく

(肘と膝はくっつけずに

上半身は綺麗に背筋が伸びています)

とても

品がある

そして

今の私の言葉から

私の病気についてものすごく真剣に考えている

そう感じる

所作

でした

私は〇〇先生のことを

やはり

ものすごく「やさしい先生」だけでなく

誠実な

患者のことを

しっかり考えてくれる

「いいお医者様」

だと思いました

普段の〇〇先生は

どちらかというと

患者への当たりはきつい感じで

気難しいお医者様の雰囲気を出されていました

しかし

このときは

〇〇先生は素の顔の〇〇先生です

〇〇先生は素顔を見せているのにそのことには気づいていない?

いえ

職責を全うする

その使命感が素顔を偽ることを凌駕する

やはり

この先生は

心優しく信用できる

そう確信しました

 

その後

術後の診察も入れると

数回診察日がありました

(手術時に1人のお医者様がいらっしゃいましたが

そのお医者様の話はまた別の機会に)

ほとんど〇〇先生だけでした

他のお医者様は

診察台での診察時に

いらっしゃっただけでした

私は顔もみていませんが

別の人の声と

〇〇先生がやりとりをする声が聞こえたので

その存在に気づきました

 

診察内容ですが

「何をしに来たのだろう」と思って帰るときがありました

そのため私は手術への不安が募っていきました

そして

手術の説明日の前日に

「明日〇〇先生のお手並み拝見だ!」

なんて強がってみましたが

本当は

「きっと明日は普段と違う〇〇先生のはずだ!」

「手術の説明なんて大切な日なのだからきっと安心感をくれるはずだ!」

そう思っていました

なぜなら

〇〇先生は普段はつっけんどんな対応で

上記しましたように

患者への当たりがきつく

気難しいお医者様のような雰囲気でした

しかし

私は

〇〇先生が本当は誠実で優しい患者思いのいいお医者様だと確信していました

また

次の診察日は<手術の説明日>であることを

前もって説明されました

しかも普段とは違う曜日違う時間帯でした

この点からも

「やっぱり〇〇先生は患者の気持ちをよく考えてくれるお医者様だな」と思っていました

手術の説明なんて恐ろしい話を聞くのですから

落ち着いた環境で聞きたいです

次の患者さんの時間を気にしたりせずにゆっくり落ち着いて聞きたいのです

⭐︎実際

患者は私しかおらず

そのおかげで

私が興奮して大きな声で大泣きしながら

話した身の上話を誰にも聞かれずにすみました

ただ手術時にいた他のお医者様がその日〇〇先生に話した私の話を

知っていらっしゃいました

私に関わる医療関係者の方が私のことを知るのは

私の病気を治す上で重要なことだと思います

しかし

私はあの日〇〇先生だから話したという内容がありました

だから

「他の人に〇〇先生は私の話をどこまで話されたのだろう?」

と不安になりました

⭐︎病院では問診票以外にもプライベートな話をしたりすることがあります

手術時にはたくさんの書類にサインしますが

家族の名前や仕事先

また保証人になってもらった人の名前や勤め先

カード払いの場合はカード情報

なども書きます

こういった非常にプライバシーに関わる内容を

病院の関係者の方はどこまで知っているのだろうか?と不安になります

私は顔も名前も知らないのに

病院の関係者の方は私の病歴以外に

家族の名前や勤め先や連絡先住所電話番号までも知っている

怖くないですか?

 

手術説明日

いつものような態度ではなく

真摯に手術の説明をしてくれるだろうと私は思っていました

ところがです

ところが

〇〇先生は

普段よりもやる気のないように感じる対応です

説明するのが面倒だと思っているように感じました

パソコンばかりを見つめ私のほうを一切見ません

(お医者様からしたらたいしたことのないよくある手術なのだろうと感じました

お医者様にすれば数えきれないほどしている手術なのだろうと感じました

ですからお医者様がそういう態度になるのかもしれないな考えることはできます

しかし

患者の私にすれば人生における一大事ですのでそのことをわかってほしいと思うのです)

私は

「こんな態度のお医者様に手術をお願いしますと頭を下げないといけないのか」と思うと

泣けてきました

自分の立場の惨めさ情けなさ

そして

お医者様の冷たい対応に

悲しくなりました

それで

泣けてきました

大泣きしました

なぜか私は自分の身の上話をしていました

そして

しばらく話していると

少し落ち着き

〇〇先生に目を向けました

するとそこには

見たことのない表情の〇〇先生がいました

そこにいたのは

ものすごく優しい微笑みで

私を見つめている〇〇先生がいました

 

今までの〇〇先生は怒っているような口調でした

「何に怒っているのだろう?」

診察日初日にちゃんと挨拶しなかったから

私のことを

「常識知らずな患者」

「礼儀知らずな患者」認定して

それで怒っているのかな?と思ったこともありました

また

大抵パソコンの方を見て私に顔を向けることはあまりありませんでした

ただ

それでも

何回か診察に通っているうちに私はこう思っていました

「〇〇先生は威厳ある先生の雰囲気を出したいのかな」

「きっと他のお医者様と一緒で

威厳があるお医者様こそ患者が安心するお医者様だって

考えているのだろうな」

「他のお医者様もそんな感じに考えてるんだろうなって思える人多いもんね」

「ただ〇〇先生は威厳があるのではなくて

ちょっと怒っているような感じになってしまっているのに

それに気づいていないのだな」と

そして何度も言いますが

「本当に手術してもいいんですね」という言葉や

時折見せる素顔の行動表情から

「〇〇先生は本当はきっとものすごくやさしい人間お医者様なのだろう」と

確信していました

 

そしてその確信は本当に当たっていたのです

〇〇先生は優しい瞳で私を見つめ

私が何か話すたびに

「聞いてるよ」ということを表すために

ものすごく大きく大きくうなづいてくれます

それに

私が泣き出した瞬間に

ものすごく慌て出していました

とにかく

そのときの〇〇先生は

私の方が「〇〇先生大丈夫ですか?」ときこうかと思うくらい狼狽えていました

 

そして

〇〇先生は私にこう言いました

「この部分もいっしょに取るので

ガンになる可能性が1個減る」と

私はこの言葉から

「〇〇先生はちゃんと私が書いた問診票を読んでくれているのだな」と感じました

大学病院の初日に問診票を渡されて記入しました

しかしそのないように私は驚愕しました

なぜなら1人の人間の「性」に関するプライベートの質問なのですが

「こんな質問必要なの?」と思うような質問ばかりです

初めての性行為の年齢は?なんて何のために必要なのでしょうか?

プライベートを丸裸にされます

しかも

その問診票を見ながら

別のお医者様と詳しく話さなければいけませんでした

その間私は「恥ずかしくないです」という顔をしていました

だって

「恥ずかしい顔」なんてしたらバカな女に思われてしまいます

お医者様に話すのです

「お医者様じゃなかったら」

「医療行為じゃなかったら」

完全なるセクハラいや

性犯罪行為です

想像してください

知らない男性が30cmもない距離に座って

しかもその部屋はその男性と2人きりです

そしてその男性は私を見ながら

私が自分の「性」について詳しく書いた問診票を読んで

その内容に関して質問してくるのです

どうですか?

これが「会社の上司」なら?

「初体験の年齢」なんて聞いてきたらそっこークビですよね

ただ

私はいまだに思っています

「初体験の年齢を聞く必要性は何ですか?」

そしてある疑念は残ります

「あの問診票をたくさんのお医者様達で読んでみんなで笑っているのではないか」と

ただ

「ガンの可能性が1個減る」と言われたことで

「あの問診票も悪いことばかりではなかった」と思いました

それでも

何度も言いますが

なぜあそこまで性に関する非常にプライベートな質問が必要だったのか?

明確に説明されるべきだと思います

⭐︎先日くも膜下出血でお世話になっている病院の産婦人科に行きました

大学病院での診察は卒業ということで

それから一年後の検診をくも膜下出血でお世話になっている病院に戻って

そこの産婦人科医のお医者様に診てもらうように言われていたからです

すると

そこの産婦人科での問診票に

「性行為の経験はありますか?」というものがありました

この質問に関しては

なんとなくですが「必要な質問かもな」と思えましたが

それでも「なぜこの質問をするのかその意図を説明するべきでは?」と感じました

また

健康診断で行った病院でも

必ず生理についての質問があります

産婦人科に行ったならまだしも

健康診断のおりになぜこのような質問が必要なのか

私はその度に

子宮筋腫で子宮を摘出したので生理はありません」と書かなくてはいけないのか!

と惨めになります

そして

なぜ産婦人科の受診でもないのにこんなことを毎回書かされて

顔も知らない看護師さんたちにまでこのようなことを知られているのかと思うと

ゾッとします

私の体を詳しく知ることが私を守り助けることなのだと理解できます

ですから他病院とに情報交換にも◯を書くべきなのだろうとも考えますが

やはり

なせこのような質問が必要なのか?

医療関係者の間では初歩的なことであり当たり前のことなのでしょうが

患者である私には意味がわかりませんので不安になるだけです

このことからも

<事前説明の必要性>を感じます

 

そして

この問診票の意図の説明は

<患者のため>

でもありますが

<お医者様のため><お医者様や医療関係者を守るため>に

必要だと感じますが

いかが思われますか?

 

話が

それてしまいましたので

子宮筋腫の手術の説明日の話に戻します

 

私は手術説明日の帰り道

こう思いました

「手術してもらうなら〇〇先生がいい!」

「〇〇先生に手術してもらいたい!」

「〇〇先生のようないいお医者様に巡り会えて私はラッキーだ」

「世の中ひどい人間しかいないと思って生きてきたけれど

〇〇先生のようないい人間いいお医者様がいるってわかって

世の中捨てたものじゃないな」と

 

 

本当にこのときの私は

 

<〇〇先生を信頼信用していました>

 

そして

術後もその気持ちは変わりませんでした

 

しかし

くも膜下出血

子宮筋腫

という病気から解放されて

心が落ち着いてくると同時に

あることを考えるようになりました

「子宮を残すように手術できなかったのかな?」と

 

私は子宮筋腫が「巨大子宮筋腫」になるまで

検診に行っていなかったという負い目がありました

ですから

「子宮を残したいです」なんていう権利は自分にはないと思っていました

また

大学病院を紹介してくださった産婦人科医のお医者様からも

「子宮の全摘と〇〇(忘れてしまいました)の全摘をする必要がある」と言われていました

そのため

更年期障害になる可能性がある」とも言われていました

しかし

私は受け入れるしかないと思いました

 

そして

◇◇大学病院の〇〇先生からは

手術の内容は「子宮の全摘」をするということと

そして

この手術によってある部分も取るので

「癌の可能性が1つなくなる」との

説明を受けました

この「癌」の説明は

私に「〇〇先生はちゃんと私の体を調べて考えてくれている」と思いました

ただ

私は〇〇先生に一度も「子宮を残せないですか?」と尋ねませんでした

理由は

上記した

・検診に行っていなかったという負い目

そして

最大の理由は

「お医者様は患者にとって最もいいと思う手術(治療)を提案してくれるはず」という思い

つまり

 

「お医者様は患者にとって最大最良の医療を行ってくれるはずだ」という

<お医者様への信頼>

いえ

<〇〇先生というお医者様への信頼>

これが最大の理由です

 

そのため

<「子宮を全摘する」手術しか方法はないのだ>と思っていました

 

⭐︎見直していて思ったのですが

<医師が考える最大最良の医療>

<患者が考える最大最良の医療>

同じであるとは限らないですものね

この点からも

やはり

医師と患者の意思疎通

インフォームドコンセント>が大事だと考えます⭐︎

 

 

しかし

〇〇先生を信頼している私でも

病後

しばらく経ち

心落ち着いてきたときに

「本当にどうやっても子宮って残せなかったのかな?」と考えます

そして

ネットで調べ始めました

すると

巨大子宮筋腫でも子宮を残す手術をしてもらったという方がいることを知ります

その方は子宮を残すためにお医者様を探されたと記してありました

私はショックを受けました

「子宮残す手術ってできたのかも!?」と

しかし

もうどうしようもありません

どんなに後悔しても嘆いても

子宮を体に取り戻すことなど絶対にできないのですから

 

私は自分に言い聞かせます

「きっと私の場合はできなかったのだ」

「子宮があったら子宮の癌のリスクが出てくる」

「私は癌になるリスクが高いからこれで良かったのだ」

「〇〇先生は子宮が残せるならきっとそう言ってくれているはずだ!』

何度も何度も自分に言い聞かせ

自分を無理やり納得させようとしました

しかし

やはりそれは無理です

なぜなら

「子宮を残せませんか?」と尋ねることは簡単にできたことなのです

その

簡単にできることをしなかった

しなかったのは自分

だから自分が悪い?

もちろんそうも考えます

しかし

もう1つの考えが頭に浮かんできました

それは

 

なぜ「子宮を全摘する」という女性にとって大変デリケートな問題の

<説明をお医者様は十分にしなかったのか?>と

 

「子宮を残したいと思いますが残念ながらこういう理由から無理なのです」

あのときお医者様が説明してくれていたら今こんなふうに悲しまなくて済んだのに

 

と思ってしまいました

 

このように

医師を信頼し

手術内容にも納得していたのにも関わらず

 

<医師が患者に手術や治療の十分な説明をしていないと思われる>

<医師の職責を果たしていないのでは?と思われる>

 

こんな理不尽な話はないと思います(私が言うのもおかしな話なのですが)

 

そして

あと2つ問題があります

次の記事に書きます

 

 

脳みる脳心